何故Perlの評価が人によって極端に違うのか?

Perlは不思議な言語である。書く人によって、古臭く汚く読みにくく触れば爆発しそうなコードができあがったり、そうかと思えば流暢な英語でしゃべっているかのようにすらすらと読めるコードができあがったりする。
実はPerlという言語自体が、そうなるように意図的に設計されているのだそうだ。赤ちゃんのように話すことも可能だし、紳士のように話すことも可能だ。他の言語はとかく紳士らしく話すことを強要するが、Perlはそうではない。たまには赤ちゃん言葉でしゃべりたい場合もあるがそれを受け入れてくれるのだ。なんと寛容なことだろうか。
ところが赤ちゃん言葉だけを見ていると、どうしてもチーム開発に向かないように見えてしまう。実際それは正しい。赤ちゃんは意味の分からないことを言う。が、目的(食・睡眠・遊び)は達成している。赤ちゃんでもそれなりに生きていける世界だからこそ、赤ちゃんが繁殖した経緯がある。
今のPerl界隈は、赤ちゃんだった人達が次々と紳士へと成長している。紳士らしく聞こえるように(表面上だけだが)直してくれる先生(Perl::Tidy)もいるし、紳士のための会話教室(Perl::Critic)で教えてもらうこともできるようになった。また、他の紳士たちの振る舞いを見て勉強すること(CPAN)もできる。紳士の心得を身につけることができれば、簡単な商談は瞬く間にまとまるし、難しい商談でもそれなりにまとめ上げることができるようになる。
「何故Perlの評価が人によって極端に違うのか?」
それは、「赤ちゃんを見ているか」と「紳士を見ているか」の違いに他ならない。

立派な紳士になりたいものだ。